みなさん、
ご機嫌いかがですか?
桐生八木節まつりを100万規模のお祭りに!
本郷です。
桐生祭りといえば!
本六(本町6丁目)が毎度お世話になっているのが・・・!?
横浜銀行さんです。
海なし県の上州は機どころ、
この桐生になぜ横浜銀行!?
私の中で、ずっと謎でした。
実は、上州と横浜には浅からぬ縁があるようなのです。
ちょっと、長くなりますが
お付き合いください(^▽^)/
『上州と横浜』
時は遡ること安政5年、
幕府は外国との貿易を迫られます。
最初、
開港場は神奈川ということでしたが、
攘夷論者による事件を避けたい幕府は、
横浜村を開港場に指定。
ところが、
当時の横浜村は貧しい漁村であった。
「これでは、外国も承知しないだろう」
ということで白羽の矢がたったのが、
吾妻郡嬬恋村出身の中居屋重兵衛という人物。
この中居屋重兵衛さん、
日本橋で色々な商売をしていた上州商人で、
たいそうな切れ者だったそうです。
安政6年には、
開港しなくてはいけない。
まず、
自分の店を横浜村に作り。
倉庫や新しい建物をどんどん作ります。
当初、
貧しい漁村で大丈夫か!?
と思っていた外国もこれを見て
「まぁ仕方がない」
ということになったそうです。
そして、
横浜港が外国との貿易の窓口になり、
現在に至ります。
つまり
今の横浜の礎は
上州人が作った!?
ということで
横浜開港に、上州人が関係していたとは、驚きました。
本日も、
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
今後も
桐生八木節まつりに関連した情報を発信していきます。
よろしくお願いします。
(参照:続上州よもやま話NHK前橋放送局編、みやま文庫発行 前橋藩 保岡嶺南の日記)