桐生まつり探訪

人口の約3.6倍の来場者!熱狂の祭典「桐生八木節まつり」とは!?

みなさん、ご機嫌いかがですか?

桐生八木節まつりを

100万規模のお祭りに! 本郷です。

 

突然ですが!

 

アナタのお住まい

人口はどのくらいですか?  

 

きっと

中規模の都市であれば

 

10万人前後というところが多いのではないでしょうか?  

 

市の人口の3倍以上の人が 集まるお祭り!?

 

それが「桐生八木節まつり」

 

じゃぁ

桐生八木節祭りってどんなお祭りなの!?

じつは、

ただの夏祭りではないのです!  

 

桐生八木節まつりとは「桐生祇園と八木節音頭の融合」

 

桐生八木節まつりは

 

3日間で延べ50万人以上が参加するお祭りです。

 

じつは、

この桐生八木節まつり

今の形式になったのは最近のこと

 

あまり知られていませんが

 

桐生八木節まつりは 桐生市内で開催されていた色んなお祭りの合体させたもの

 

それでは、

桐生八木節まつり以前に どんなお祭りがあったのか

 

その歴史を紐解いてみましょう(^▽^)/

まず

明歴2年(1656年)八坂祭典・桐生祇園始まる。←これがはじまり!

7月の下旬に、なんと6日間行われていたそうです!

江戸末期には屋台の曳き違いや、屋台上での江戸芝居が夜通し上演されていたそうです。

かつては、『関東三大夜祭り』と呼ばれていたそうな。

次に、

昭和25年(1950年)から七夕祭りが始まる。

当時、桐生は景気が良かったので、仙台の七夕祭りのように賑やかだったそうです。

その後、

昭和27年(1952年)商工祭り始まる。

4~5月のGWに行われていたそうです。

また、合わせて天満宮の臨時大祭・御開帳などがあったそうです。

そして、

昭和29年(1954年)桐生まつり始まる。←今の桐生八木節まつりとは違います

なんと!

11月に行われていたそうです。

もともとの桐生まつりは

秋祭りだったんですねぇー

 

昭和30年(1955年)から花火大会が始まる。

錦桜橋の下流で打ち上げていたそうです。

今ではもう花火大会は行ってませんが、

昔の桐生の夏はかなり賑やかだったことが伺えます!

 

ということで、

 

かつては色々なイベントが別々に行われていたようですね。

 

桐生祭りの歴史 いかがでしたでしょうか?

 

本日は最後までお読みいただき ありがとうございました。

今後もこのブログでは

桐生八木節まつりの情報を発信していきます。

よろしくお願いします。

(参照:「もっと知りたい!!桐生の八木節まつり」桐生八木節まつり協賛会発行)  

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